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2013年7月 3日 (水)

主題 <ダビデの高ぶりと悔い改めの祈り>

聖書箇所 歴代誌第一   21章  (2013年2月15日)

今日のみことば「ダビデは神に言った。「民を数えよと命じたのは私ではありませんか。罪を犯したのは、はなはだしい悪を行なったのは、この私です。この羊の群れがいったい何をしたというのでしょう。わが神、主よ。どうか、あなたの御手を、私と私の一家に下してください。あなたの民は、疫病に渡さないでください。」(17)  

 ダビデは人口調査を、神の民を整えるために行なったのではなく、国の軍事力を把握するために行ない、軍事力によってさらに国が栄えることを望んでいたのではないか。20章に書かれていた連続する戦いの勝利に、そのような誘惑のきっかけが含まれていたと考えられよう。ダビデの心の中に、高ぶりの罪が大きく入り込んできたのである。
自らの罪について、ダビデはイスラエルが打たれることで気づいた。人口調査は、ダビデの命令によって始められたが、イスラエル全体の関心事でもあっただろう。その意味では、主がダビデにだけ責任を問われたことは厳しいことのように感じる。しかし、王という立場のゆえに、そのさばきは厳しいものであった。
 主は三つのわざわいの中から、ダビデに選ばせた。ダビデにとっては、イスラエルの民と共に受けるべき厳しいさばきだが、ダビデは、主の御手に陥ることを選択した。それは、さばきを受けることをはっきりと自覚しているとともに、神のあわれみの豊かさにもしっかりと目を向けていたからである(13、「主のあわれみは深いからです」)。
 ダビデと民のうちに主のさばきが臨んだとき、ダビデは民のためにとりなして祈りました。私たちは真実な悔い改めをもって主に祈ったダビデの姿に学ばなくてはなりません。