« 主題 <誠実を尽くすダビデ> | メイン | 主題 <ダビデの高ぶりと悔い改めの祈り> »

2013年7月 3日 (水)

主題 <慢心のきざし>

聖書箇所 歴代誌第一  20章  (2013年2月14日)

今日のみことば「ダビデが、彼らの王の冠をその頭から取ったとき、それは金一タラントの重さがあり、それには宝石がはめ込まれているのがわかった。その冠はダビデの頭に置かれた。」(2)

サムエル記第二、10~11章に、きょうの箇所と同じ内容について記されている。しかし、歴代誌には、サムエル記にある有名な大事件については何も書かれていない。それはダビデのバテ・シェバとの姦淫事件である。「歴代誌ではダビデを美化している」と言う人がいる。しかし、それは正しくないだろう。なぜなら、この歴代誌は、サムエル記をすでに知っている人たちを対象に書かれたからである。歴代誌に記されていなくても、この頃にバテ・シェバ事件があったと、読む者は皆わかっていた。しかし、21章には、ダビデが人口調査をした罪については記されている(21:1)。
歴代誌においては、むしろ、このダビデの人口調査の罪の方が、ダビデの姦淫よりも強調され、姦淫の罪が軽視されているのではない。歴代誌は、彼の罪の根本が、神の御前での高ぶりであったことに注意を向けているのである。歴代誌は、サムエル記の記録を重視しつつも、礼拝者としてのダビデを強調し、ダビデやソロモンを中心として、礼拝を学ぶことに強訓点がある。歴代誌が、「礼拝を教える書物」と言われる理由の一つは、このような記録の仕方にある。アモン人との戦い(1-3)、ペリシテ人、ガテ人との戦い(4-8)における勝利の連続の記録も、礼拝者ダビデとイスラエルの日常の歩みの記録であり、主にへりくだり、主から勝利を与えられた民の記録なのである。
私たちもまた、恵みに慣れ、勝利を自らのもののように慢心することのないよう注意しよう。