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2013年7月 3日 (水)

主題 <辺境にあっても主に仕えた人々>

聖書箇所 歴代誌第一   26章  (2013年2月20日)

今日のみことば「ダビデは、「ヘブロン人のうち、ハシャブヤとその同族の者は勇者であり、千七百人いたが、ヨルダン川を渡った所から西方に至る地域のイスラエルの管理に当たり、すべての主の仕事、王への奉仕に当たった。」(30)

門衛は、門を持ち場として、敵の侵入などを防ぐ働きをした。て12節を見ると、門を守るだけでなく、主の宮に関連する働きをしていたことがわかる。
神殿の中には宝物倉があった。その宝物は26~28節にあるように、荘厳な輝きを放つ宝物というよりは、神の民の先祖たちが戦いにおいて得たもの、あるいは預言者や王たちのささげ物だった。彼らは、主の宮の修理のために、分捕り物を聖別してささげた(27)。主の宮の必要のために、また、神の民が絶えず神殿を中心とした礼拝の民としてのあり方を継続していくために、ささげられた。
最後に、門衛や宝物倉の管理以外の奉仕を負う人々のリストがある。ヘブロン入について総括的に言うと、彼らは辺境の民であり、そしてまた、辺境の部族に対する働き全般のために、ダビデによって、彼の晩年に任命された人々であった。彼らは重要でない地域の、重要でない奉仕のために、ダビデ王の最盛期を過ぎた時期に任命された。働きとしては重要でないように見えるが、何よりも主が彼らの奉仕をご覧になっていた、ということに注意しなければならない。人には重要でないかのように見える働きかもしれないが、主なる神はそれを明確に主の奉仕としてご覧になっておられるのである。
どのような奉仕でも喜んで主に仕える者となりましょう。