主題 <最も恐れたものとは>
聖書箇所 ヨブ記 3章 (2013年5月 5日)
今日のみことば「私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。」 (25)
東方一の大富豪で、神を信じるヨブが、大きな試練に直面した。その告白を読んでみると、彼の悲しみと絶望、恐れが表れている。
ヨブは10人の子供を失い、全財産を失い、健康を失い、妻からは不信仰の言葉を受ける。そこに3人の友人がはるばる訪ねて来て1週間沈黙する。だからまず、ヨブは自分のことを語り始める。
この時にヨブは自分の生まれた日をのろったのである。同様な独白を預言者エレミヤもしている(エレミヤ書20;14-15)。
自分が生まれてこなかったことを願うが、生まれてしまったからには、母親のひざの上でなぜ育ったのかと悔いるのだ(11、12節)。
死ねば、力のなえた者が天の御国で憩こうているではないかと。
そして成人した今、もっと早く死ねば良かったのにと生きて苦しむ自分を恨むのである。「死を待ち望んでも死は来ない」(20節)は、何というつらい思いだろう。
そして、ヨブは25節に「私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。」という。そこにあるのは人間に共通した弱さであり、迷いである。私の最も恐れていたこと、と今の幸福な状態がいつ失われるかも知れないという漠たる不安である。神への深い信頼、神が愛であることを疑う人間的な弱さが見られる。人間はなんと弱く、もろい存在だろう。
私には、少しも安らぎがなく、休みも、いこいもなく、心はかき乱されているのだ(26節)。
本当の休みは、主イエス・キリストのもとにある。マタイの福音書11;28-30を読んで、改めて神は愛であることを確信しよう。