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2013年7月 3日 (水)

主題 <祈りに応えられる神>

聖書箇所 歴代誌第二   7章   (2013年3月 2日)

今日のみことば「わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」(14)

 ソロモンが祈りをささげ終えると、天より火が下り、いけにえを焼き尽くした(1)。聖なる神の臨在は、祭司たちさえも近づくことの許されないものだった。おびただしいいけにえは(5)、畏れと同時に、聖なるお方との交わりに生きる喜びによって、惜しげなくささげられた。何万頭もの牛や羊は、神の民全体が、神のためにささげたものの集計であろう。
 主は、ソロモンの祈りに対する応答として、彼に語りかけられた(12)。そこで、この神殿のことを「いけにえをささげる宮」と、いけにえをたずさえての礼拝がなされる場として意識した表現がされている。臨在を約束される神は、神の民を寄せつけないのではなく、むしろ罪の問題が解決され、共に交わりを持つためにそこにおられることを宣言する(14-16)。
 主の応答は、ソロモンの奉献の祈りに対するものである。特に14節で言われていることは、神の、王、そして民に対する応答の中心である。この主の応答は、まさに罪人の祈りを聞いてくださるという内容である。実際にはイスラエルは何度も背いてきた民だった。背いたから、それで神の民としての資格が失われた、ということではない。そのような過ちを犯したとしても、御前にへりくだり、祈り、神を求め、そして悪い道から立ち返るなら、その祈りを聞いて神は赦すと言われている。
 主が民の祈りを聞いてくださった後は、赦してくださることだけで終わらない。主は「彼らの地をいやす」と言われる(14後半)。すなわち、神に背いた民の生活する場である地をいやされた。主なる神は、その地で信仰者が生きるように求めておられ、また信仰によって神の民として歩むことができるように、顧みてくださるのである。