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2013年7月 3日 (水)

主題 <この世の人の関心>

聖書箇所 列王記第一  22章  (2012年12月31日)

今日のみことば「ユダの王ヨシャパテがイスラエルの王の所に下ってくると」(2)

 キリスト者は、この世と決定的な分離をしなくてはならないという立場に置かれ、決断しなくてはならない経験をするでしょう。なぜなら、この世は人を罪と滅びに誘引するからです。目を覚ましていないと再びこの世に引きずり込まれる可能性があります。
 ヨシャパテは善王であり、立派なことを完成したが、アハブと友交を結んだことは大きな躓きであった。彼は悪いアハブ王と戦争を共にし、わが子ヨタムの嫁にアハブの娘アタリヤを選び(I歴代誌18;1)、子孫と王国にわざわいをもたらしたのです(Ⅱ列王記8、11章)。
 ヨシャパテは戦争に行くことに自信がなく、預言者にたずね、最後にミカヤにやめるように注意されるが、アハブに断り切れない。また、戦争のさなかにも自分を表立った王にされ、アハブは変装して戦場におもむく。ヨシャパテは自分の身が危うくなると大声でわめき、いかにも王らしからぬ立ちふるまいといえる。しかし、神は不思議にも、「ひとりの兵士が弓を引くと、…射を抜いた。」(34節)とさばかれたのです。
 クリスチャンもこの世の人の関心を引くあまりに、この世に下ってしまうことを恐れよう。決して、この世のほうがクリスチャンに近付き、上ってくることがないことをしっかりと覚えて、身を慎み歩もう。

<祈り>主よ。目を覚まして、滅びから免れるように導いてください。