主題 <ダビデと結ばれた契約の故に>
聖書箇所 歴代誌第二 21章 (2013年3月16日)
今日のみことば「主は、ダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからである。」(7)
ヨシャパテ王の死後、その長男ヨラムが王となった。ヨラムは、南王国の王らしからぬ悪行をする。兄弟を皆、殺し、北イスラエルの指導者たちまでも殺す(4)。北イスラエルの、主に対する背きは明確だったので、その懲らしめのようにも見えるが、恐らくここでは、暴君としてのヨラムが強調されているのだろう。南ユダに接していた諸国は、その支配から逃れた。そうなったのは、ヨラムが「主を捨て去った」からであった(10)。また、王の悪行の理由は、北イスラエルの悪王アハブの娘を妻としたことであった(6)。ヨラムは、ダビデ王の血筋にある者だった。しかしその信仰を受け継ぐことなく、アハブの悪い例を見習い、預言者エリヤの厳しい警告のとおり、激しい苦しみの後に寂しい死を迎えたのである(18、19)。この歴代誌の記事を読むと、主の、罪に対する厳しさを思わずにいられない。ヨラムの悪行について、列王記には、ほとんど書かれていない。民の心に、神に背く愚かさを改めて刻み込むために、このような記録が残されているのだろう。
しかし、この箇所の中心は、厳しさだけではない。神は愚かな王と民の時代にあっても、あわれみ豊かなお方であった。主は「ダビデと結ばれた契約のゆえに」彼らを滅ぼさなかった(7)。主は、与えられた契約のゆえに民をあわれまれた。主が与える契約は、あわれみに満ちている。そのあわれみの中にヨラムに続く王国は存続して行くのだった。
主のみことばの約束は今日の私たちにも恵みの約束として、キリストによる救いへと続いている。この恵みを改めて覚えて感謝しよう。