« 主題 <主の律法の書の発見> | メイン | 主題 <主の憐れみは尽きず> »

2013年7月 3日 (水)

主題 <主にささげた人生>

聖書箇所 歴代誌第二   35章  (2013年3月30日)

今日のみことば「すべては、そこにいたすべての人の過越のいけにえのためであった。その数は三万、牛は三千。これらは王の財産の中から出された。」(7)
 ヨシヤ王はまず神殿の偶像を取り除き、神を拝する場をきよめた(三四章)。ヨシヤは「聖なる箱」(契約の箱)を据えるように命じる(3)。契約の箱は、すでに神殿の中心に設置されていた(Ⅱ歴代5章)。ここでは改めて、主の臨在が約束されている契約の箱が意識され、神の臨在のもとに過越の祭りを行ない、神の民は、神と共に生きる特権が与えられていることを思い起こしている。
 彼らにはいけにえが用意された(7)。多くは、王やつかさたちが用意したものだった。用意したいけにえは、かなりの数であった。確かに「預言者サムエルの時代からこのかた、イスラエルでこのような過越の祭りのいけにえがささげられたことはなかった」と言われている(18)。これは、必ずしもいけにえの数量を指しているのではないだろう。それでは何か理由で、イスラエル王国の歴史において賞賛されるべき祭りと言われているのか。それは18節後半で言われているように、神の民全体で、主の恵みを共に祝ったという点にあるのだろう。
 すぐれた働きをしたヨシヤ王であったが、その最後は、エジプトの王ネコとの戦いに敗れ、殺されてしまった(24)。ヨシヤ王は預言者フルダによって安らかな死が預言されていた(34:28)。しかし、戦いで戦死してしまったといところに、戦うべきところではない所で、高ぶって自らの力を誇示しようとしたことによる戦いの結果の戦死だったのではないかと考えられる。
 どこまでいっても主の前に謙遜に、一人の礼拝者として歩みを全うすることができるように祈り続けていくことが大切であることを教えられるのです。