主題 <私たちの選択>
聖書箇所 列王記第二 24章 (2013年 1月24日)
今日のみことば「エルサレムとユダにこのようなことが起こったのは、主の怒りによるもので、ついに主は彼らを御前から投げ捨てられたのである。」(20)
ついに、バビロンによってエルサレムとユダが占領され、捕囚となります。歴史は神の物語、ヒストリーといわれています。神に選ばれた民が神に背き、罪と偶像を崇拝する者となっては、主が投げ捨てなくてはならなくなるのです。
人間はいかに罪深いものでありましょうか。現在おかれた立場に感謝もしないで、常に不足、不満がある所に、自分に仕える自分好みの偶像を生み出し、偶像を受け入れる素地を形成するものであると思う。
神はいかなる時にも、より頼む者のとりで、楯である。神を愛し、神に悦ばれる生活こそ、我らが選び取らなくてはならない決断です。
私たちの今日の選択が、明日の生活、霊性、信仰に大きな関係を持って迫ってくる。自らまいた種を自らが刈り入れるのが人間であるのですから、うみ疲れることなく、善を行うことを求めよう(ガラテヤ人への手紙)ではありませんか。神は侮るべきお方ではないと、旧新約聖書はあかししている。
選びの民、イスラエルが神によって投げ捨てられる日がきたのですから、私たちも恐れの心を持とうではありませんか。
<祈り>主よ。私の人生をみこころにかなったものとしてください。あなたから投げ捨てられるような事になりませんように。