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2013年7月 3日 (水)

主題 <主を喜ぶこと>

聖書箇所 ネヘミヤ記  8章   (2013年4月18日)

今日のみことば「きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。」」(10)
 城壁の完成を見た民たちは次に何をしたのか。それは神の民として再び整えられるために歩み始めたと言える。
 その第一歩は、律法(みことば)を聞くことから始まった。この段階に至り、実務の中心であったネヘミヤに代わり、エズラが登場する(1)。城壁完成の翌月(七月)の一日、律法を聞いて理解できる者が広場に集まった(2)。そこで、エズラは律法を朗読した(3)。十三人の補佐する者も律法を解き明かし(7)、民はそれを理解した(8)。内容の中心は、イスラエルの不信に勝る主のあわれみであり、また彼らが神の民として歩むことを通し、世界が主を知ることであった。不従順な者たちを導かれた神のあわれみに触れたとき、彼らは感動し、民の中に悔改めが起こり、「みな泣いていた」(9)。この月の十日は贖罪の日、十五日からは仮庵の祭りが続く重要な祭りの月であった(14)。民は、ネヘミヤによって、自分の罪に心を向けた悔改めの涙を、神のあわれみによって罪を赦された喜びに転換するように勧められた(11)。彼らのあふれる喜びは、「行き、食べたり飲んだり、ごちそうを送ったり」することによって示された(12)。
 次に民たちは、約束の地に定着以来、忘れられていた仮庵の祭りを再興することにあった(14-18)。祭りを共にするのは、神が導かれた荒野の旅というイスラエルの先祖の経験を自分たちのものとし、また同じ祭りを祝う同時代を生きる者に、共同体としての意識を与えるためであった。
 罪の悔い改めと神が困難な中にも共に歩まれたお方であることを経験的にも回復することが民の整えとなったことが分かります。私たちも主が共におられ、導いてくださえるお方であることを確認し、共有する者とならせて頂きたいと思います。