主題 <悔い改める者を待たれる神>
聖書箇所 列王記第二 21章 (2013年1月21日)
今日のみことば「マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。」(1)
ヒゼキヤは善王だったが、彼の子マナセは最悪の王であった。恐らく、マナセはヒゼキヤ時代の反対勢力とくみして、自分の王位を保ったのであろう。彼は五十五年という長い間王として支配した。普通、長い間王となるのは国家にとって良いことなのだが、はたして、彼が長い間、王として治めることがよかったのでしょうか。
彼の影響は、長い治世だっただけに、よりわざわいを残したと言えます。偶像に仕えるこの王ゆえに、神はこれ以上忍耐ができず、神の民を捕囚にしたのです。
この捕囚の辱めによってより純粋な神を愛する民が、よりわけられてくるのです。マナセは多くの義人を殺し、あの有名な預言者イザヤが殉教させられたのもこの頃といわれる。
しかしついに、マナセが捕らえられた時に、悔い改め、再びエルサレムの王に帰った時、偶像を整理し、神に仕えたのです。老人になって目覚めたマナセは残念といえるが、しかし、それでも幸いである。
今日、多くのマナセのような人が悔い改めるのを待たれるのは神であります。神は一人でも滅びることを望まず、悔い改めに進むことを望んでおられます。一人の悔い改めの必要な人のためにあなたも祈って下さい。
<祈り>主よ。今を神と人に熱心に生きられますように。私の生涯が、人々に少しでも霊的な感化を与え、祝福を残せる者にして下さい。