主題 <ティシュベ人エリヤ>
聖書箇所 列王記第二 1章 (2013年 1月 1日)
今日のみことば「アハズヤは、「それはティシュベ人エリヤだ。」といった。」(8)
神が立てられた人の立場は、神の召命によるのです。神が特別に選び、ご自分のご用に用いるために立たせて下さるのです。
神の選ばれた人はいつ、どんな場所においても用いようとされる時に、神のメッセージを携えて語るのです。たとえどんなに過酷なさばきの宣告でも、明白に語るべきなのである。
現代は使徒のパウロの時代と同じように、福音を語るのに水増ししたり、会衆の気に入るメッセージのみを語る時代でもあるかも知れないが、神の預言者はありのままの神の言葉を、厳しいけれどもさばきを語るのです。
私たちも神のみことばに対してあいまいな態度で告白を続けるのはやめ、大胆にいつものように、今も信じた通りに告白するものとなろう。
預言者はどんな人かと様子をたずねると、すぐに、「それはティシュベ人エリヤだ。」と王アハズヤみずから語ったというのです。私たちの人生と信仰が神の人を証する器とされたいのです。神の人の召命はまた、人からの証しが加えられることも事実でありましょう。
<祈り>主よ。あなたのしもべであることをいつも証しさせてください。