主題 <主の目の前にある歩み>
聖書箇所 歴代誌第二 31章 (2013年3月26日)
今日のみことば「ヒゼキヤはユダ全国にこのように行ない、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行なった。」(20)
ヒゼキヤ王は、過越の祭りの後、祝いの祭りを一週間延長した民は、いよいよ彼らの生活の場へと戻り(1)、神殿の聖別と同様、彼らの町々にあった偶像の祭壇を取り除いた。南ユダはもちろん、北イスラエルの一部(「エフライムとマナセ」)にまで、その動きは広がった。
それからヒゼキヤは、祭司とレビ人たちを組み分けした。それには、ダビデ・ソロモン時代に確立したいけにえをささげる礼拝形式を神の民それぞれが生活する町々で再建するという目的があった。王は神のみおしえに従って(3、4)、神の民全体が整えられるように、王としての務めに励んだ。
町々に住むようになった神の民は、いけにえとは別に多くのささげ物(「収穫の初物、すべてのものの十分の一」)を至るところに積み重ねた(5、6)。それらのささげ物を、非常にたくさん、長い期間にわたって人々は持ち込んだ。第三の月と第七の月は(7)、それぞれが収穫の時期に当たる。年二回の収穫期にわたって半年以上、彼らはささげ物を集めた。
これらは、人々の自発的な意志によってささげられた物であった。神の民として、信仰が再興し礼拝をささげる喜びによってあふれ出る感謝の応答を、見ることができる。その豊かなささげ物を、ヒゼキヤは注意深く保管し、神の民全体に分配するように命じた(11-19)。王の指図で管理・分配の仕事に当たった者たちは、忠実に任務を果たした。年齢や地域の偏りなく、神の民全体に対して分配した。ヒゼキヤの改革によって神の民全体が、本来の神の民にある真実な信仰生活を回復していく姿が見られる(20)。
私たちも主の前に正しく歩めるように祈りましょう。