主題 <恥じるという思い>
聖書箇所 エズラ記 8章 (2013年4月 8日)
今日のみことば「私は道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを王に求めるのを恥じたからである。」(22)
エズラたち一行は、男子だけで1736名に上り、女性や子供達を加えると5000人程になるでしょう。不安定な時代の旅は極めて危険で、これを守備するために部隊を要請することは極当たり前の頃です。常日頃、 「我は全能の神を信ず」と告白していたエズラにとって、この1000Kmにおよぶ道中の危険の中に神の御目と御守りがあると信じるのである。これは具体的な問題であり、信仰が深く問われることでした。
子供達と持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるために断食したのである(21節)。なぜなら、王から人間的に当然願うべき助けを求めることを恥じたからである。恥じるという思いも、また大切にしたいことです。
告白が具体性を帯びて迫ってくる時に、信仰が培われ、成長させられていく。このときの祈りと願いと断食は、徹底したことであり、突き抜けたものでした。「すると神は私たちの願いを聞き入れてくださった。」(23節)と確信いたします。
<祈り>主よ。恥じるほどに、世のことに頼ることを止めさせて下さい。