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2013年7月 3日 (水)

主題 <歌うたいたち>

聖書箇所 歴代誌第一  25章   (2013年2月19日)

今日のみことば「また、ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。その奉仕に従って、仕事についた者の数は次のとおりである。」(1)
 1節の「アサフ、ヘマン、エドトン」とは、賛美する4000人のリーダーであった(23:5)。
 彼らは賛美しながら「預言」をしたと記されている(1-3)。預言とは、主からのことばを預かり、人々に伝えることである。彼らが歌っていたものは、恐らくほとんどが詩篇であった。詩篇を通して、神がどのようなお方であるか、神の民に対してあわれみ深いかが、わかるのである。詩篇を歌うことは、神を知り、神を告げ知らせるという意味で、預言的な面がある。
 5節の「先見者」とは「(幻を)見る者」という意味がある。つまり、みことばから、民がどうあるべきかを明確にする人たちである。これも、詩篇を歌うことによってなされたのだろう。また、彼らは「王の指揮の下に」奉仕をした(6)。賛美の奉仕も、主に仕える民全体の中での調和のもとに行なわれた。また、歌うたいたちは「達人」であると書かれている(7、8)。「達人」とは、もともと「良く訓練された」という意味がある(雅歌3:8の「練達」と同じ)。歌うたいたちが「達人」と呼ばれているのは、彼らが充分な訓練を積み、よく練習をして備えていた、ということを意味している。主に、より用いられるために継続して訓練を受けることは大切であり、主に対する奉仕への忠実さは、訓練によって整えられると言える。
 今日、教会における賛美が神をたたえると共に、賛美する会衆がより神を知り、互いにおしえられていくものとなっているだろうか。また、豊かな賛美がささげられていくためにも訓練を重ねていくことは、より主に従っていくことを学んでいくことに通じることを覚えたい。