主題 <悔い改めたマナセ>
聖書箇所 歴代誌第二 33章 (2013年3月28日)
今日のみことば「神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうして、マナセは、主こそ神であることを知った。」(13)
南王国ユダの信仰を立て直したヒゼキヤ王の息子が、マナセである(1)。しかし彼は、父ヒゼキヤと全く異なり、主の目の前に悪を行なう王となってしまった(2)。マナセの悪行の中心は、神殿を偶像礼拝の場へと変えたことだった(3-7)。また彼は、子どもたちに火にくぐらせるとともに、霊媒や口寄せをした(6)。マナセがこれらを神殿で行なっていたということは、彼が、主を礼拝することと偶像崇拝とが同じようなものだと捉えていたことによる。
マナセは神からの語りかけに注意を払わなかった。その結果、主のさばきとして、彼は捕らえられ、バビロンヘ移されてしまう(11)。そのさばきの中で、マナセは主に祈り、へりくだる(12、13)。別の言い方をすれば、悔い改めたのである。彼の悔改めは、列王記には書かれていない。確かに、高き所が残っていたことや(17)、神に背くあり方が息子アモン王にも影響していたことから(22)、マナセの生涯全体は、良い評価が与えられるべきものではない。しかし、彼が悔い改めたということを、後の時代の人々が知り、思いめぐらすとき、そこには民の間で共に思い起こさなければならない、一人の信仰者の姿がある。マナセ王の悔改めは、決して小さいものではない。さばきの悩みの中で、彼は主の御前に、自らの罪を省み、主こそが真の神であることを深く理解した(13)。
悔い改め、主を知ることこそ信仰の一歩であることを覚えたいと思います。