主題 <何を責めたてているのか>
聖書箇所 ヨブ記 6章 (2013年5月 8日)
今日のみことば「まっすぐなことばはなんと痛いことか。あなたがたは何を責めたてているのか。」(25)
ヨブは、エリファズの愛と理解がないことにひどく失望した。
だから、2-4節にあるように、ヨブの苦難の重さがどれほどであることかを知らない友のひどさを訴える。その悩みは海の全部の砂よりもはるかに重いだろうと。その中心が、神から見放され、神に責められているのだと断定されていることだ。友人の残酷な言葉にヨブは黙って引き下がることができないのだ。
8-10節で、神が私を絶つことが御思いだったら、喜んで死んでゆけるのだと。私はこおどりしてそれを喜ぼうと。なぜなら、私は聖なる方のことばを拒んだことがないからだ、とヨブの激しい思いを見せられる。ここにヨブの生きる根拠があったからである。
12節のように、苦難を忍び、乗り越えるには、石の力、青銅の強固さが必要だ。だが、忍耐には限度があるのだ。
14節にあるように、今、友人の友情こそ、最も必要としているのだ。ヨブは切に友の力を必要としていることを力説する。
そして、24~25節に見られる、苦しみに遭っていない君たちこそが、ほんとうの意味でのヨブを教えるべきなのだ。どんな過ちが自分の中にあるかを理解した上で。
そして痛烈な言葉を返すのです。「まっすぐなことばはなんと痛いことか。」と。正しく見える言葉でも、いや正しいと見えるからこそ、その言葉に深く傷つくのである。
29節に記されるように「どうか、思い直してくれ。不正があってはならない。もう一度、思い返してくれ。私の正しい訴えを。」というのだ。今日、日常の言葉に、愛と平和な豊かさを持ちたい。