主題 <神に心底から訴えたい>
聖書箇所 ヨブ記 7章 (2013年5月 9日)
今日のみことば「人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。」(17)
この章は、二つの部分に分けられる。前半の1-6節は、友人へ自己の主張を述べるのでなく、自分自身に内なる独白を言い立てるのである。後半の7節以降は、友への反論ではなく、神への祈りに向かうのである。このように、私たちは苦悶する現実に立ちつつ、自らに語りかけ、そして神に語りかけているのである。苦悩の極限状態となっていることを現している。
前半の独白には、むなしい月々、苦しみの夜があること、むなしい日々が過ぎ去ると苦悩があふれ出てくるのである。苦しみには少しも目的もなく、充実した時間を過ごす意味もないと思うものだと。
一方、神に訴える道をもっている。私は、もし神を知らなかったら、そう思うとぞっとするのだ。神がおられることを信頼するので、奥底からの嘆きを訴えることができる幸福があるからだ。11節にあるとおり、「それゆえ、私も自分の口を制することをせず、私の霊の苦しみの中から語り、私のたましいの苦悩の中から嘆きます。」と素直に自分に語りかけ、神に語りかける。自分の口を押さえ込まないで、ありのままに神に語れるのだ。詩篇の叫びに通じるものがある。
だから、私は自分のいのちをいとうと言い、いつまでも生きたくありませんとだだをこねられる。私はここにヨブの自由な霊性を見る。
17節の今日の言葉には、とても皮肉な表現をしている。言葉そのものには信仰ある言葉であり、詩篇8;4や144;3には、神への信頼を表明されているす。だがここでのヨブが表白しているつぶやきは、深い神への信仰を見いだせるのではないか。偽善的な祈りもできよう。しかし、真実の叫びを上げ得たのだ。ここに真実を見る思いだ。