主題 <祈りが磨かれる>
聖書箇所 列王記第二 19章 (2013年 1月19日)
今日のみことば「ヒゼキヤは主の前で祈って言った。」(15)
聖書学校にいた頃、塾長の市川先生は「諸君の伝道や祈りは、まるで伝道ごっこ、お祈りごっこのようだ。」といわれたことがある。人が責任を負わずにすることの多くが、<ごっこ遊び>のように流れやすいのです。
しかし、いざ祈らなくてはならないと言う重大な時期に直面することがある。こうした時こそ、祈りが磨かれるし、本物になるのです。
彼の祈りは、第一に、今、現に臨在されるお方を信じ、神が見、聞いていただき、神の感情に訴えるようにして祈り込むのです。
第二に、彼はその苦しみをありのまま訴え、過去になした敵の事実に直面し、将来への不安のかげりも神に訴えるのです。
第三に、具体的な祈りへの希求を、神の御名のあがめられることを願って祈りを閉じている。
私たちは、この祈りを模範にしたい。この祈りが奇蹟をもって答えられ、預言は次々と成就していきます。この歴史に残る事実をもって、神は我らに何を語ろうとしておられるのだろうか。
主の前に座り込み、じっくりと腰を据えて祈り込む必要はないだろうか。家族の問題、自分の信仰の成長、教会の祝福、などです。
<祈り>主よ、あなたの前に、見られ、聞かれ、心を動かしていただけるように、祈りの祭壇を築かせてください。