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2013年7月 3日 (水)

主題 <いつ、けりをつけるのか>

聖書箇所  ヨブ記 18章     (2013年5月20日)

今日のみことば「不正をする者の住みかは、まことに、このようであり、これが神を知らない者の住まいである。」(21)

 再びビルダデがヨブに託宣する。いつまで自我を主張して自分を正しいとし、忠告を受け入れないのか。明らかにヨブが間違えており、試練に遭うのはヨブに問題があったからなのだ。「いつ、あなたがたはその話にけりをつけるのか。まず悟れ。それから私たちは語り合おう。」と。友らの考えを受け入れれば、話し合ってもいいという高飛車な態度を感じるのだ。ヨブの反論から、より激しい反論となっている。
 5節の「悪者どもの光は消え、その火の炎も輝かない。」は、新共同訳聖書の訳のように『神に逆らう者の灯はやがて消え/その火の炎はもはや輝かず』という意味である。悪者とは罪や悪を行うという意味ではない。神を信じていない人間のことである。ヨブが神を信じていないと断定するのである。
 7-8節には、「彼の力強い歩みはせばめられ、おのれのはかりごとが彼を投げ倒す。彼は自分の足で網にかかる。落とし穴の上を歩むからだ。」と悪しき者には必ず危険と不幸があり、ヨブがそうなのだと決めつける。自分で自分を正しいとして落とし穴を作り、自分で落ち込んだようだといさめる。19節には「彼には自分の民の中に親類縁者がなくなり、その住みかにはひとりの生存者もなくなる。」とまで決めつけられる。極めつきは、「不正をする者の住みかは、まことに、このようであり、これが神を知らない者の住まいである。」(21節)とまで言われた。
 ヨブへの最後通告のような言葉だ。友人だからと言いたい放題ではないか。こうした取り扱いをされた経験を持つ方もいると思う。そこにヨブ記を読む深み方とその真実が読み取れよう。