主題 <罪のうちにあって赦しを求める>
聖書箇所 詩篇 38章 (2013年7月21日)
今日のみことば「それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。」 (15)
この詩篇は、ダビデがバテ・シェバのことで罪を犯した後に悔い改めて歌ったものと考えられている。詩篇には七つの悔い改めの詩篇があるが、これはその一つとされている。
1~8節にて、苦しみの中にあって神に祈っている姿があるが、その苦しみ続けている理由は自分の犯した罪のためであったことを告白している(38:5)。特に、1~3節には、その罪を犯したということが、どんなに肉体的にも、精神的にも苦しみ続けなければならないかを、その様子が告白されている。ついには、11節に「私のえやみを避けて立ち」とあり、「えやみ」とは病気のことであり、肉体的苦痛は現実の病となって苦しむこととなってしまったことが言われており、さらにはその病のうちにあって、だれも近寄る者のなくなってしまうという孤独の中に置かれて、一層の苦しみを経験することとなってしまったことが言われている。この詩篇を見る時、ダビデにとっての失敗、罪を犯したことがどんなに人生に大きな困難の中に立たされてしまうことになったかを知ることができる。
しかし、ダビデは悔い改め、主の赦し、救いを求めていきました。そして、「急いで私を助けてください。主よ、私の救いよ。」(38:22)の祈りで終わっている。ダビデは苦しみのただ中で、神を見上げて祈り求めました。以前として苦しみから解放されていないけれども神に祈り、神が解決を与えてくださると希望をおいている。このダビデの姿こそが真の信仰者の姿ではないだろうか。罪の赦し、救いを与えてくださるお方は唯一であり、主にこそ救いがあることを告白しよう。