主題 <自我の主張>
聖書箇所 ヨブ記 34章 (2013年6月 5日)
今日のみことば「ヨブはかつてこう言った。「私は正しい。神が私の正義を取り去った。私は自分の正義に反して、まやかしを言えようか。私はそむきの罪を犯していないが、私の矢傷は直らない。」(5)
自分は正しいとするヨブの主張をまとめたものである(33;9-11)。この正しい人間が、このような試練に立たされるのは、神が間違えているのではないか、ということを思うことをエリフがとがめているのである。
人間の自我の主張の根源にふれている。そして今日は、私たちがどこまでもこの点で自分に偽りを言っていることがないだろうか。
ヨハネの第一の手紙1章に、「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。」(1;10)と言われている。
エリフのついてきたこの肝心なポイントを自分について掘り下げてみよう。自分を義とする人を主が指摘されている場面がある。ルカの福音書18;10-14に出てくる。パリサイ人の姿勢である。かれは他の人、ことに取税人のようでないことを感謝し、自己のしてきた事柄に自信を深めている。一方の取税人の祈りは、神の前に砕かれたたましいからの叫びであり、神のあわれみを求めたものである。
自己をたのまないで、神にのみ自分の根拠を置くことを主題にしたい。ヨブの苦しみ方が、ちょうど私たち自身を鏡に映しているように思える。神にすべてをゆだねることこそ、実は神の義なのである。そして苦しみが私たちを純化し、神にのみ立つことに移ろう。