主題 <悔い改めの賛美>
聖書箇所 詩篇 51篇 (2013年8月 3日)
今日のみことば「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。 」(17)
私たちは罪を犯しても、なかなか全面的に罪を認めにくい。自分の立場やプライドが邪魔をして、神の前に人の前に、心を裸にし、自分の心の中のありったけを出すことが難しい。
ダビデは、自分か王であることを忘れ、神の前に一人の罪人として泣き崩れ、あわれみを請い求めている(1、2)。ダビデは「神よ」と呼びかけており(1、10、14)、二十回も「あなた」「あなた」と言って、徹底して神に告白している。
悔改めとは、神に背を向けて罪を犯していた者が、再び向きを神に向けて、神のところに帰ることである。ダビデは、根っから罪深い、自分ではどうしようもなく汚れた者であるということを、心底から自覚し、自分の心にある罪を告白している(3-5)。そして、人目には隠れているが、自分に、人に、神に対して邪悪な思いを抱く部分を、ヒソプをもってきよめてください、私をあなたの前に砕いてくださいと、ひたすら懇願している(7~9)。
あの天地創造の御力をもって、再び私の心を造り変えてください、神様の決して変わらない、御霊の力によって私をきよめ、新しい心をもう一度くださいと切実に求めている(10-13)。これこそ赦されないほどの大きな罪を犯した人の、切なる叫びである。そして、悔い改めが、神に導きを求めていく渇きとなり、賛美へと変わっていくことがこの詩篇には表されている。
悔い改めは自らの醜さ、欠け、弱さを示される時で、この時ほど神から遠く離れた者であるということを強く自覚させられるが、実はこのような時こそ、われらの神はそば近くに臨んでくださるお方であることを覚えたいと思います(17)。