主題 <感謝のいけにを主にささげよ>
聖書箇所 詩篇 50篇 (2013年8月 2日)
今日のみことば「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」(23)
私たちはしばしば、天の父なる神を、自分の心の叫びを聞いてくださる「愛なるお方」としてだけ崇めがちであるが、アサフはまことに、全能なる天の神こそ審判者であり、神の義をもってさばかれるお方であると歌っている。
聖書は主のさばきがあることを断言している。私たちは、天の父が、慈しみ深い愛なる神であると同時に、罪を厳しく罰せられる審判者であることを知り、みことばによって深く心を探られ、ますます主を恐れ、主を崇める者とならなくてはならない(1-6)。父なる神は次のようなお方である。
第一に、主は、いつも語りかけてくださる(7)。私たちは、主は祈っても応えてくださらないと、主に文句を言いがちだが、実は主は、私たちに語りたいと願い、絶えずみことばを通して語りかけてくださっている。問題は私たちがいつも、本当に主の語りかけ、主のみことばに、耳を傾けようとしているかどうかということである。
第二に、主が求められるのは、決していけにえが多いとか少ないとかではない。求めておられるのは感謝のいけにえをささげ、誓いをいと高き方に果たし、主の御前に常に感謝と悔改めをもって、ご自身を礼拝することである(7-14)。さらに、天の父なる神が、信じる私たちに本当に求めているのは、主を呼び求めることである。その時、主は必ず応えてくださる(15)。主を求める者を主は祝福してくださり、また「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう」と言われている(23)。
私たちはまずどのような時にも主を恐れる者として、主に感謝をささげるものとなりましょう。