主題 <真実なことばの力>
聖書箇所 詩篇 12篇 (2013年6月25日)
今日のみことば「主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。」(6)
ここにおいては、言葉による罪が強調されている。1~4節では、不誠実と虚偽に満ちた社会を描写しながら、聖徒に対する主の救いを求めている。しかし主は、ご自身が立ち上がることを約束された(5)。主のことばは不真実な者たちの言葉と比べると、大いに異なる(6)。最後に主の守りを確信している(7)。
言葉の持つ力を考えてみよう。私の言葉は、他の人をいつも励まし建て上げているだろうか。それとも傷つけているだろうか。
ダビデは助けを求める叫びで始めている(1)。ダビデが直面している問題は、偽善と(2)、公然と行われている悪である(8)。それはすべて、話す言葉から始まっている。人々が、神について尊敬を欠いた話し方をするならば、間もなくそれには、神をあがめないような行動が伴う。そのような人々は、他の人々の同じような行動も容認する。それで、社会全体が神から離れて行く過程は、さらに進んでいく。明らかにこのようなことがダビデの時代に起っていた。ダビデは、罪を犯している人々の言葉を引用しながら、彼らの言葉の中心にある、神の前の傲慢さを浮き立たせる(3、4)。それは、貴金属
のように七回も精練された、完全に純粋な主のみことばと何と違っていることを明確にしている(6)。神が話されるとき、そこには何の偽善もない。イエス・キリストの生涯は、そのことばと行動が完全に一致していた。イエスはいつも真実を語られた。そしてそのことば通りに行動をされた。イエスは完全な模範であられた。
現代に生きる私たちは世にある不誠実な、虚偽なことばに惑わされずに、主のみことばによって歩む者とならせて頂きたいと思います。