主題 <目をさませ>
書箇所 詩篇 57篇 (2013年8月 9日)
今日のみことば「私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。」(8)
私たちは、目の前の現実に、絶望しか見いだせない時も、神が共にいてくださるゆえに望みをもって生きていくことができる。ダビデは、自分に追ってくる嵐のような巨大な力の前に、今にも滅ぼされようとしていながら、「神よ。私をあわれんでください……滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます」と訴えた。それは、神はすべてのことを成し遂げてくださるお方であるという、力強い確信を持っていたからである(1、2)。「仕方がない」というような、あきらめの気持ちだったのでもなく、また弱々しい望みを持っていたのでもない。
神は、ダビデを洞穴に追いつめたサウルが、一人無防備で、その洞穴に入り込むように仕向けられた(Ⅰサムエル24:3参照)。神は、ダビデを、必ず守る主であった。もし私たちも、その御翼の陰に身を避けさえするなら、同じ主が、私たちをも守ってくださる。
ダビデは相手の攻撃の激しさを神に訴え、自分の無力を告白し、神が崇められるようにと祈っている(4-6)。
私たちはともすると、自分のまわりの暗いものによって心がうなだれ、滅入ってしまいがちである。しかし、ダビデはそのような中で、「目をさませ」と自らを励ましている。目をさまして主のみわざをはっきり認めることが大切である。そして、彼は最後に、主に感謝し、主をほめたたえている(7-11)。
私たちは心の暗さが解決され、明るくなったら神を賛美しようと思いやすいが、信仰とは暗い中で光が見えなくても、必ず輝く朝が来ることを信じるところにあることを覚えたい(イザヤ50:10)。