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2014年6月11日 (水)

主題 <神の前における高ぶり> 

聖書箇所  ヨブ記 33章     (2013年6月 4日)

今日のみことば「聞け。私はあなたに答える。このことであなたは正しくない。神は人よりも偉大だからである。」(12)

 ヨブの持つ罪の本質をエリフは見抜いていたので述べるのである。それは神の前における高ぶりである。ヨブであっても罪がある。それは貧しい人々をしいたげたり、不従順であったわけではない。しかし、神の前においても、義であると主張したことによる。
「神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。」(14)
神はいろいろな方法で、手段で私たちに語りかけてくださる。時には、夢の中で語られたことがある。ヤコブは天から掛けられたはしごによって、ここに神がいますのに知らなかったと告白している(創世記28章)。イザヤが天の御座の聖なる場を見て、自己の罪の自覚を覚醒させられた(イザヤ書6章1節)。使徒パウロはマケドニヤの叫びを幻で聞いたのである。(使徒16章)
そして最も重要なことは、人が神の前において高慢に陥らない経験である。しばしば、人間の中心的な問題は高慢という課題だからである。しばしば、自己の罪について問いつつも、そして神の豊かな赦しと恵みを経験したその場でさえ、高慢になることがある。こんな小さな罪人をこんなにも愛されているのかと驚きますが、ほかの人よりも優れているというとんでもない間違いをしてしまうのである。
エリフのヨブへの忠告を聞きつつ、神を正しいとすることによって人生の心棒が納められてくるのである。