主題 <実を結ぶ人生1>
聖書箇所 ヨハネの福音書 12章 (2011年8月16日)
今日のみことば「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」(24~25)
イエスは一粒の麦が死に実を結ぶという比喩を用いて、これから御自身が十字架において死に、三日の後によみがえられることを意味して語られたことであったが、直接的に語ったことでなかったため、この時点では多くの人々は理解できなかった。しかし、ここで語られた「実を結ぶ」ということから、この地上にあって「実を結ぶ」人生を歩むために必要なことを示されていたことは大変重要であると考えさせられる。
一粒の麦が地に蒔かれ、死ぬと新たな芽が出て、やがて実りを見るようになる。この死ぬという比喩を25節では「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。」と言って、この地上における「いのち」をどう用いて、生かして生きるかに例えられている。「自分のいのちを愛する」者は、自己中心、自己満足となり、他者への愛と、神への愛をおろそかにし、自分自身のいのちと生活は、価値も喜びも失ってしまい、地上だけで終わる。しかし、地上において自分のいのちを愛することをやめ、自己中心的な生き方を憎んで、「いのち」と生き方を保つなら、主にあって永遠のいのちに至ることを教えてくださっていることを改めて覚えたいと思います。
自己中心的な生き方から解放され、いかにして生きるかが問われ、これは非常に難しい課題であると思わされる。自分を無くして、他者のために、そして神のために仕えて生きていくという方の実践は、神の栄光を現す生き方に通じていることをより一層、身に染みて教えられていかなくてはならないことを思わされる。そして、今日、自分を無くして、他者のために、神のために仕えて生きていく人を必要としている時代はこれまでなかったのではないでしょうか。今年、日本は大きな震災に経験しました。瓦礫と荒れ地となった多くの地に、やがて実を結ぶために、仕えていくことが求められていることを覚え、実を結ぶ人生にわたしたちもささげて生きていく者とならせて頂きたいと思います。