主題 <実を結ぶ人生2>
聖書箇所 ヨハネの福音書 15章 (2011年8月19日)
今日のみことば「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。」(4)
ぶどう園のぶどうの木と農夫のたとえをもって、イエスは再び「実を結ぶ」人生について教えられた。
イエスは御自身はぶどの木であり、私たちはその枝であると語り、しっかりとぶどうの木なるイエスにつながっていることが、枝である私たちが枝先に実を結ぶために必要であることを教えられました。そして、木であるイエスにつながっていることは、同時にぶどう園を守る農夫なる父なる神のもとにあることも約束されていました。
ここで、注目したいことは、良い実を結ぶために農夫によって「刈り込み」(2)がなされるということです。今で言う「剪定」のことで、特に果実などの木々は質の良い実をならせるためにある程度、多く茂っている枝、葉を切り落とし、整えて、十分に栄養が行きわたるようにして、良い実をつけることができるようにするために行われます。イエスはこのことを父なる神がなされることとして教えられました。枝、葉を切ることは植物にとって痛みが伴うように、人間にとってみれば、枝、葉を切ることは、しばしば試練という痛みを通して経験することが多いと思います。しかし、一時の痛みでありますが、それはやがて良質の実を結ぶために、大きな祝福が備えられていることを覚えて、試練も主による整えであるということを受け止めていくことができたらと願います。
そして、枝である私たちはぶどうの木である主イエスにしっかりとつながり続け、木から栄養を十分に受けて成長し、実を結ぶことができること、この奥義をしっかりと覚えていきたいと思います。実を結ぶための栄養分はイエスにあるように、イエスのうちにいのちがあります。そして、その栄養分をしかりと受けていくということは、今日、日々のみことばに聞くと言うことからなるということを覚え、少しずつ主のみことばによって成長させて頂けるように祈りましょう。