主題 <わたしは、良い牧者です>
聖書箇所 ヨハネの福音書 10章 (2011年8月14日)
今日のみことば「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」(11)
イエスは「わたしは羊の門です。」と言われました。羊は放牧していたところから帰ってきて、門を通り、小屋に向かいます。門を出て放牧地にいるときは場合によっては狼などに襲われる危険があるのですが、一度、戻ってきて門をくぐるということは安全な場所に入り安心する場に入ったこととなります。そこで、イエスはご自身が「羊の門」と言われたのは、そこに安心、救いを与えられるお方であることを意味していました。
また、「わたしは、良い牧者です。」と言われました。羊飼いは羊をさまざまな危険から守り、時にはいのちをもかけて守られます。羊飼いにとって羊は大切な財産であり、すべてでもあるのです。そして、イエスはご自身がその羊飼いであると言われ、羊はイスラエルの民をさしていました。イエスはイスラエルの民のためにいのちをかけて守られ、救われると言われたのです。
17~18節で言われていることは、イエスの十字架による贖いと復活について触れられて語られていたことが分かります。いのちをかけて守られ救われるとはまさに十字架による贖いと復活によるみわざによってでした。しかし、これらのイエスの語られたことについて、十分に理解することができなかったと言われています(6)
しかし、良い牧者なる主イエスは、今日、「囲いに属さないほかの羊」つまりは異邦人にも福音をもたらせ救われ導かれるお方であることをも示されていました。主イエスはすでに異邦人である私たちをも導かれようとされていた主のあわれみに感謝したいと思います。
そして、「彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、一人の牧者となるのです。」(16)と言われて、主イエスのみことばに聞き従うという一つの群れが意識されており、それは今日の教会という群れをさしていたことが分かります。ですから、教会という群れの在り方の原則は、牧者なるイエスを知り、主の声に聞き従うということが根底にあることを確認したいと思います。
羊飼いと羊のように互いを知り見極め深い信頼関係があったように、私たちも主イエスとの交わり、導きを大切にしていきたいと思います。