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2011年11月

2011年11月 3日 (木)

主題 <神の助けによってできる覚悟> 

聖書箇所 使徒の働き 21章    (2011年9月15日)

今日のみことば「するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。」(13)

パウロが地中海岸にあったカイザリヤの聖徒たちへの告別メッセージでした。神の御心を確信しているので、人間的な感情で訴えられても、少しも動揺しなかったのです。
 信仰生活で、一つの大きな節目、決断は、自分の過去と現在と将来を神の御手にゆだねることをするのです。M・A・バーネット先生は、この経験を<きよめの生涯>と語り、福音伝道教団の牧師や信徒を導きました。問題のただ中で、私たちのよって立つ立場は、主イエス・キリストの御名のためならば、死ぬことさえ覚悟している、という信仰を貫徹したいのです。
 もちろん、初代教会の聖徒たちも、殉教する火刑の前夜、ローソクに小指をかざしたときに、あまりの熱さに手を引っ込めてしまったそうです。しかし、一番年少だったこの青年牧師が、だれよりも勇敢に死に臨んだのだという記録があります。
 自分の決意や熱心ではなく、神の助けによってできる覚悟、信仰の決断を時に迫られることが起こります。クリスチャンであるゆえに、家族や町内、職場での困難があるでしょう。しかし、信仰によって一貫して生きるときに、周囲が変ってきます。私たち自身が変えられていくのです。

主題 <神とその恵みのみことばにゆだねる> 

聖書箇所 使徒の働き 20章    (2011年9月14日)

今日のみことば「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」 (32)

 パウロは、エペソの長老たちに遺言のように恵みのことばを託するのです。主の導きによってアジアに宣教し、ことにエペソには長期間滞在して、人々を福音化していきます。救われた信徒たちは、ある者は献身して伝道者、長老となり、教会の牧会に専念します。ある者たちは忠実な教会員としてエペソ教会の発展と宣教に邁進します。多くの問題があったでしょう。迫害もあったでしょう。しかし、主イエス・キリストの愛に救われた兄弟たちはパウロの期待に十分に応答する者でした。
 20:24 『けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。』と語っているのは、このエペソの聖徒たちの信仰生活を示していると言っていい。
 そして、この信仰を持った聖徒たちについて、神と恵みのみことばにゆだねるのです。
この神のことばこそ、聖徒たちを育成し、成長させるのです。蒔かれた小さな種が、どの野菜よりも大きくなるのです。
 さらに神の御国を受け継ぐすばらしい将来が待っています。パウロの全力を注いで、いのちをかけた宣教に大きな満足を語りました。

主題 <宣教の拡大> 

聖書箇所 使徒の働き 19章    (2011年9月13日)

今日のみことば「こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。」(20)

 教会は、神の恵みを背に大胆に宣教がなされ、拡大していったことがわかります。この原動力は、聖霊に満たされた力でした。エペソでのキリスト教に導かれていた信徒たちが、まだ聖霊について知らなかったのです。いつものように、祈り、みなが聖霊に満たされたのです。聖霊に満たされ、導かれて、クリスチャンが誕生し、教会がいのちに満たされるのです。
 パウロはエペソに二年間にわたり滞在して、全力で福音を宣教します。ことにツラノの講堂で二年間の宣教は、『アジアに住む者はみな、ユダヤ人もギリシャ人も主のことばを聞いた』のです(10)。キリストを信じる、信じないという結果は主の御手の中にあるのですが、住民のみなが福音を聞くこととなったのです。なんという記録となったでしょうか。マスコミの発達した現代において、テレビやラジオ、自動車など駆使してもこの報告書を見ることができないのです。
 祈祷師たちが行っていた悪霊による働きを圧倒したのです。パウロは福音神学の正統性を主張するだけではなく、霊的な問題に深く切り込んでいったのです。彼らの信仰は、知識による論理だけではなく、実際的な知恵を持ち、人々を変えていったことを考えよう。

主題 <町には、わたしの民がたくさんいる> 

聖書箇所 使徒の働き 18章    (2011年9月12日)

今日のみことば「わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。」(10)

 パウロは地の果てまで宣教に前進します。アテネでの働きを終え、コリントでの宣教を開始しますが困難を極めたのです。しかし、神はパウロに「18:9 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」と語られたのである。
 どんな人でも、楽天的な態度だけでは伝道できるものではない。しかし、こうした困難の中で聞いた神の言葉こそ、伝道者を励まし、勇気づけるものである。同じところに留まらないで巡回伝道したパウロが何と一年半もの期間、腰を据えてじっくりと伝道し続けたただ一つの宣教地です。
 ここで聞いた神からのメッセージは、三つの点です。「神は共におられること」「だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。」「この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。
この町には「わたしの民がたくさんいること」が神からの啓示であったのです。救われる人々からの招きを聞いたことなのである。
パウロはよく神からの幻を与えられている。聖霊が臨むとき、青年が幻を見る(2:17)とある。このビジョンは決して自分の願望とか、会議の決議がされたのでビジョンができたのではない。天から、上から来るものなのです。そうでないと地から出てくるものは、肉に属し、地に属し、ねたみと敵対心が働くとヤコブは警告している(ヤコブ3章)。
 神から来る幻に支えられて、コリント伝道の進展を見ることができたのである。恐れないで、天からの平和を持って励まされた奉仕をした。だから気負いもなく、高ぶらず、へりくだって伝道したのである。