主題 <苦しみを耐え抜く力を与えられる慰めの神>
聖書箇所 コリント人への手紙第二 1章(2011年10月25日)
今日のみことば「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(4)
パウロはコリント人への第一の手紙を書き送った後、コリントに短い期間滞在し、さまざまな問題の解決のために働きかけるが、良い解決が与えられず、その後、悲しみの中で書き送った手紙(2:4、現在は失われている手紙となっている)を送るが、しかし、思ったほどの改善がなされなかった。そのような経過を経て、この第二の手紙を書き送りました。
パウロはまず、コリントの教会の信徒たちにパウロの会った苦しみについて報告しました(8~9)。それは、死を覚悟するほどのことであったことをパウロは語っているが、これは使徒の働き19章23節以降に記されているデメテリオという銀細工人のパウロに対する批判を発端に、ついにはエペソの町の劇場に群衆が押し寄せるほどの大混乱となったことが記されている。
そのような大きな迫害を経験したパウロであるが、神の助けにより救われたことを報告している(10)。そして、将来にわたって主に希望をおいて宣教の働きに出ていたことを伝えています(10)。そのようにパウロが言えた理由は、「神は苦しみのときに、私たちを慰めてくださいます。」(4)と言うように、非常に困難な中にあっても、神は慰めてくださる。その慰めは、苦難に耐え抜く力を与えてくださるという慰めに満ちた神が臨まれるからであることをパウロは教えられました(6)。
パウロ自身、非常に大きな苦しみを通されましたが、なおコリントの教会の信徒たちにも及びかねない迫害を覚え、その苦しみの中に励まし、前進していくように祈るようにこの手紙を書き送ったことが伺えるのである。ここに、パウロの牧会者として配慮ある人であったことを見ることが出来ます。おそらく、コリントの教会の人々との関係に多少のギクシャクする関係があったと思われるが、しかし、パウロはコリントの教会の信徒の方々との協力関係を大切にし、コリントの教会の信徒たちのために最善の助言を与え続け、教会が建て上げられることを祈っていた姿に学びたいと思います。