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2011年11月23日 (水)

主題 <キリストのすばらしさが現わされることを求める>

聖書箇所 ピリピ人への手紙 1章 (2011年11月19日)

今日のみことば「それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。」(20)

 ピリピ人への手紙は、使徒パウロが獄中からピリピ教会へ送った書簡です(1;12-18)。福音宣教に生涯をかけたパウロは、「いつも喜んでいなさい」と獄中から励ましています。その秘訣は「主にあって」なのです。
私の人生のすべては、キリストのすばらしさが現わされさえすれば、十分であり、感謝であり、結局は、御国の完成にまで導いてくださるのだと確信します。
ですから今、置かれている獄中生活が、周囲に与えている影響を考えています。事実、パウロをこの時とばかりに使徒を否定し、拒否する教会員がいたのです。ところがこのことでさえ、キリストが宣べ伝えられるので、感謝にあふれるのです。
どういう場合であっても、大胆に福音に生きることは主の喜ばれることです。目先の事柄に心を奪われないように大胆に、
しかし、19節にあるように、互いのクリスチャンの奉仕と支え、祈りの援護が必要なのです。こうして一人パウロのみが聖徒になるのではなく、互いの祈りが聖徒を作り上げるのです。
パウロは、私の身によってキリストがあがめられること、キリストが知られることこそを切に願っているのです。私たちの日々の願望は何だったでしょうか。人と比較して優位に立つことや欲望を満足させることに終始してはいなかったでしょうか。
キリストの福音にふさわしい生活とはまさにこのスピリットなのです。