主題 <主に仕えるように>
聖書箇所 エペソ人への手紙 6章 (2011年11月18日)
今日のみことば「人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。」(6)
六章前半では、親子関係と奴隷と主人の関係が扱われている。
パウロは「子どもたちよ」と呼びかけている。この手紙は、多くの教会宛ての手紙と同様に、教会の中で朗読されたようである。子どもたちも、すでに礼拝や交わりの中で、その手紙を聞く者としてそこにいたということが伺える。また、それは同時に親子関係を考えて行くときに、主の教会にある交わり、神の御前にあって神の家族としての交わりにあって親子関係を考えていくことが重要であることを示しているようにも思う。
子どもたちに、「主にあって両親に従いなさい。」(1)と勧められました。「主にあって」とは、キリストに対して求められるような従順を求めているのである。
次に、父への呼びかけが続いている。「子どもをおこらせてはいけません。」(4)とは、甘やかすこととは違う。パウロは、子どもたちが落ち着いた心で、主の教えに耳を傾けることができるように、父親は心を配ることが大切だと語っている。
最後にパウロは、奴隷とその主人の関係に言及している。当時の社会では、奴隷は社会の最下層の存在であり、主人は奴隷を生かすも殺すも自由にできた。しかしパウロは、奴隷の身分にあるキリスト者に対して慰めのことばを語るよりも、「キリストに従うように」(5)、「キリストのしもべとして、心から」(6)、「人にではなく、主に仕えるように」(7)、主人に従いなさいと命じている。
主人に対する命令は、「奴隷に対して同じようにふるまいなさい」というものであった(9)。パウロは奴隷制度を否定しませんでした。しかし、「奴隷に対して同じようにふるまう。」(9)ということは、一人の人間として同等に、同じ様に関わりあうことを勧めているということは、単なる主人と奴隷と言う関係を無力な関係にしようとしていたともとれる。
いずれにしても、主にあることから、親子関係、主人と奴隷の関係を考えていく視点があったことが良く分かるのである。
今日、私たちも主にあって仕えるように、それはキリストのうちにみられた姿であり模範であったことを覚えて、良き関係を築き上げていくことが出来るように祈ろう。