主題 <訴え合うのではなく>
聖書箇所 コリント人への手紙第一 6章(2011年10月14日)
今日のみことば「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」(7)
この聖句には、ほんとうに驚かされてしまう。この世に生きるクリスチャンが、この世からのむごい取り扱いを受けたときの心得を通して、現実の乗り越え方を教えている。
これは一つの賢明な方法であり、私たちを訴える人々の事柄に心を動かさないと言う道なのである。訴える人に対して、自己の正当性を主張しても、この世的な人には通用しないし、かえって噛みついてきて傷が深くなるのである。これまでの敬虔な生き方に大きな傷を与えてしまいます。
だから、訴え合うことをしないで、主が歩まれた道をたどる決心をすることである。主が歩まれた道は、この世的な人から正しく評価されたわけではない。それどころか正しい方をつるし上げ、十字架につけていったのである。
こういう世的な世界にいて、この世界から高く評価されたらたまったものではない、と考えるべきなのである。曲がれるよこしまな世界から称賛を期待することから解放されよう。
むしろ誤解の中に身を置き、訴えを甘んじて受ける覚悟が大事なのである。主は的外れな訴え、裁判の中でむしろ王者のようなゆとり、平和を持っていた。
不正な取り扱いに甘んじる生き方は、消極的なように思えて、王者の生活なのです。互いに訴え合っていたら、敗北だと教えます。キリスト者の恵みの生活をまなびとりたい。