主題 <主の福音のために奮闘する者に>
聖書箇所 コロサイ人への手紙 1章(2011年11月23日)
今日のみことば「このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」 (29)
パウロは獄中からコロサイ教会の信徒たちのことを覚えてこの手紙を書きました。パウロ自身はコロサイ教会の人々に会っていないが、彼らについてエパフラス(7)やコリント教会のことを聞く機会があり(3~8)、パウロはコロサイ教会の信徒たちをキリスト者として評価(7~8)しています。
そして、コロサイ教会の信徒たちが、さらに真の知識に満ち(9)、神の御心にかなうキリスト者として歩むよう(10)にととりなしの祈りをささげました。この、真の知識、神の御心にそうには、正しい福音の理解、みことばに学ぶことが必要でした。実は、コロサイ教会の信徒たちは間違った教えの脅威にさらされていく中で、福音の真理のことばにとどまり続けていく歩みをしていくところにその解決の鍵があることを教えました。
また、パウロはコロサイ教会の信徒たちに万物は御子イエス・キリストにあって成り立っているということを教えていきました。そして、「御子はそのからだである教会のかしらです。」(18)と言い、つまりは教会に集う一人一人はイエス・キリストに属していることを確認しています。また、キリストに属しているということは、キリストの十字架による罪の赦し、神との和解を得ているということであり、この救いの恵みを確認し、さらに信仰にあって歩むように勧めました。
パウロ自身は投獄されるという困難な状況にあることを訴えながら(コロサイ2:1)、それでも主の教会と福音の宣教のために日夜祈り、労していることをコロサイ教会の信徒たちに伝えています。そして、教会の建て上げのために奮闘していることをパウロは「キリストの苦しみの欠けたところを満たすために」(1:24)と表現しました。これは、キリストの十字架における御苦しみが不十分なので、人間の苦しみをもって補わなくてはならないということではない。パウロはキリストの十字架の贖いの御業は全うされたが、このキリストの十字架による救いを教会が宣教していく使命を負っており、その宣教と教会の形成のためにささげていく生涯にこそ大いなる祝福が備えられていることを伝えたのでした。
私たちも宣教の恵みを共に覚える者となり祈る者とならせて頂きましょう。