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2011年12月24日 (土)

主題 <みことばを宣べ伝えなさい>

聖書箇所 テモテへの手紙第二 4章(2011年12月14日)

今日のみことば「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」(2)

 パウロの書いた書簡の中で、このテモテへの手紙第二がパウロの晩年、最後の手紙と考えるならば、パウロの地上における最後の勧めと取ることができる。パウロの勧めたことは何か。それを一言で言うならば、「宣教」でした。
パウロは、1節にあるようにキリストの再臨と、来るべき神の国とを思いながら、「みことばを宣べ伝えなさい」と命じました(2)。この命令はパウロの個人的な思いなのではない。かつて昇天される前に復活の主イエスが弟子たちに命じられた大宣教命令(マタイ28:20)にあったことであり、主の教会は今日もこの命令に応じて宣教を行っている。
また、この命令は、テモテのような伝道者だけに対するものではなく、イエス・キリストの救いを受けた、すべての者に対して語られている。福音宣教の働きは、救われた信仰者の特権である。
 時が良くても悪くても「しっかりやりなさい」とは、「備えていなさい」というような意味もある。私たちは時の良し悪しを計るうちに、語る機会を失つてしまうことがないだろうか。良い機会も、躊躇しているならば失われてしまうし、その逆にふさわしくない時と思えても、知恵と忍耐とまた謙虚さとによって、効果的な証しの機会と変わり得るものである。パウロはテモテに、今の時の困難な迫害があっても、なお語り続けていくことが重要であることを語りました。
 さらに、パウロは、「自分に都合の良いことを言ってもらうために、…教師を寄せ集め、…空想話にそれて行く」(3~4)と言い、宣教の働きが非常に困難なものであることを予告している。
しかし、宣教の責任を果たしていくことは、困難ではあるが決して不可能ではないく、このような時にこそ忠実に行っていくことが重要であることを教えられました。そして、それは今日の私たちにも同様に語らえていることを覚えたい。私たちも地上の生涯を終えようとする晩年に、宣教への重荷をもって歩んでいることができたら幸いなことである。