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2011年12月24日 (土)

主題 <大祭司キリスト>

聖書箇所 へブル人への手紙 7章 (2011年12月25日)

今日のみことば「ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。」(27)

メルキゼデクのことは、創世記14章17~20節に簡潔に語られているだけであるが、詩篇では110篇4節に、そして新約聖書では、今読んでいるヘブル人への手紙にその名が出ている。驚くべきことに、神の御子イエスについての重要な事実を教えるのに、イスラエルのレビ族の出ではない祭司としてのメルキゼデクのことが用いられているのである。
 御子イエスはメルキゼデクのような大祭司である。そこで、その二人の間の類似点を確認したい。
 まず、「義の王」 (2)という意味のメルキゼデクという名前は、イエスを見事に言い表している。主は全く罪のないお方であり、正しいお方だったからである。次に、「平和の王」(2)という称号がある。メシヤは「平和の君」と呼ばれ(イザヤ9:6)、イエスご自身は弟子たちに、「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます」 (ヨハネ14:27)と言われた。
 メルキゼデクの系図の記録がない(3)という事実は、その存在に「永遠的な」感じを与えている。
また、メルキゼデクとイエスがレビ族と対比されている。本来ならば、祭司職はレビ族から立てられたが、メルキゼデクはその系図の記録がないように言われているように、御子イエスはユダ族から出た者として言われ(14)、メルキゼデクのように、イエスはレビ族とは関係のない方として立てられた方として言われている。それは、従来の様な祭司職に就く方ではない方として暗に紹介している。主は神の特別な祭司である御子であった。
 御子イエスは、私たちの必要を唯一応えてくださる大祭司である(26)。それは、私たちの罪のためにただ一度ご自身をささげてくださったからである(27)。
 神との間に立たれとりなしてくださる真の大祭司キリストにあって、その罪の赦しに感謝し、希望をもって歩ませて頂きたいと思います。