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2011年12月24日 (土)

主題 <約束のものを相続する信仰>

聖書箇所 へブル人への手紙 6章 (2011年12月24日)

今日のみことば「それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。」(12)

1~8節では、キリスト者としての成熟を目ざすように勧めている。悔改めと信仰、復活とさばきなどの「キリストについての初歩の教え」をよく理解したうえで、それを土台として、日々の神との交わりのうちに神に従って生活をし、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人となり、霊的な成熟を目ざして進むべきであった(1~3)。そのためには、神によってメルキゼデクの位に等しい大祭司と宣言された、御子のことをよく理解すべきであった。しかし、キリストを否定し、キリストを十字架にかけたユダヤ人と同じように、キリストをもう一度十字架にかけて、恥辱を与えることに等しいことは、もう一度悔改めに立ち返らせることは困難であると警告を与えている(4~6)。
9~12節では、信仰と忍耐によって約束のものを相続することができるようにと励ましている。信仰から離れ、キリストを否定するのではなく、キリストによって神との交わりのうちに、聖徒たち(教会)に仕え、神のために愛を示していくようになることを願っていた(10)。
13~15節では約束のものを得るために、その模範としてアブラハムについて語られている。神は、アブラハムを大いなる国民(神の民)とすると約束された(創世記12:1~2)。そのときアブラハムには子がなく、妻のサラは不妊の女であったが、約束通りイサクをお与えになった。アブラハムは、信仰と忍耐の連続の後に、約束のものを得ることとなったのである(15)。
16~20節では、アブラハムの信仰に触れ、神の約束の確かさを示し覚えるように勧めている。人間は、自分よりすぐれた者をさして誓い、約束に対する疑いや不安を取り除き、約束の確かさを保証する。しかし、神は、神以上にすぐれたお方は存在しないので、ご自分をさして誓われた(16、17)。これ以上にまさる確証はないのである。
 今日、私たちも御子キリストを信じ、愛し、仕え、御子にある真の希望に満ち、歩むことができるように祈ろう。