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2012年2月 2日 (木)

主題 <祝福を受け継ぐために>

聖書箇所 ペテロの手紙第一 3章 (2012年 1月 8日)

今日のみことば「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。」(9)

3章1~12節は、従うということ、特に夫婦関係において従うことについて勧められている。この勧めは当時の社会においては斬新なものでした。
 ぺテロは妻たちについては、無言のふるまいによって、神を恐れかしこむ清い生き方をし、柔和で穏やかな霊を心に持っていくように勧めました(1~4)。単に夫に従うというのではなく、神を恐れる信仰によって歩み従うということを勧めている。夫たちについては、妻をいのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬するように勧めました(7)。尊敬するということの中に、やはり神を恐れる者同士、互いを受け入れ合うという柔和をもって仕えること、従うことを勧めました。
 ぺテロは、人間関係において従うということが、互いを受け入れ合い、一致を築くことになり、その歩みは平和を求めていく歩みにもなることを教えている。神は困難の中にもキリストがそうされたように従い仕え合う歩みをする者を覚えて下さり導いて下さることを覚えよう(11~12)。
3章後半から4章全体にかけて、使徒ぺテロは新たなテーマで語り始めていきます。そのテーマを一言で言うならば「苦しみ」ということになると思います。
 ぺテロは前に「主の目は義人の上に注がれる」(12)ことを確認しているが、その義人、主にあって正しい歩みをしている者にも苦しむことがあるという現実を語っている。しかし、苦しみを否定されることではなく、積極的な意味でとらえているという面が注目すべき点てあると思います(14)。
 確かに苦しみなどだれも望まないでしょう。しかし、苦しみに直面するときがあるのです。それもどんなに正しい歩みをしているという人でもです。
聖書の中の人物で、ヨブにしても、そしてイエス・キリストにしても苦しみを経験したのでした。でもその苦しみは、より大きな祝福につながったことも事実であったことを覚えたいと思います。