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2012年3月20日 (火)

主題<繰り返される失敗> 

聖書箇所 創世記 20章    (2012年 3月10日)

今日のみことば「そこで、アブラハムは神に祈った。神はアビメレクとその妻、および、はしためたちをいやされたので、彼らはまた子を産むようになった。」(17)
 ソドムとゴモラの出来事の後、アブラハムはゲラルの地に滞在した。そこでアブラハムはエジプトにいた時と同じように妻サラを妹と偽った。かつて身の安全のための一策を計じた時と同じことをくり返し行ってしまった。このことはエジプトにいた時と同じように、ゲラルの王アビメレクはサラを召し入れることとなった。
 しかし、今回はかつてのエジプトのパロを痛めつけるということではなく、神は直接アビメレクに夢の中で語られた。アブラハムにサラが妻であることを問い正し、真実を知ったアビメレクはその非を償いを徹底的にしている(14~16)。アビメレクは権力者でありながらも、決して、高慢に私利私欲に生きた王ではなかったようである。それ故か、神は被害をもたらされるのではなく、真実を知らせることで止められたのかもしれない。
 いずれにしてもアブラハムはゲラルの地でも、身の保身から神に信頼することが出来ずに同じ失敗を繰り返してしまったということが明らかにされている。アブラハムは知らない異国の地にあって、人におもねる弱さがあったと言える。人間の弱さはなかなか変わらないという面がることを示していると言える。遅れながらもアブラハムは神の前に悔い改めて祈った(17)。
 しかし、驚くべきことは、神はアブラハムの度重なる失敗にも関わらず、神は介入され、導かれようとされている。アブラハムとの契約の故に、そのあわれみに満ちた計らい、熱心さに驚かされる。同じ様な失敗をくり返しながらも、決して見捨てないと言われる神に、私たちは改めて信頼する者ではなくてはならないことを教えてくれている。