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2012年3月20日 (火)

主題 <試練の中で主に従う信仰>

聖書箇所 創世記 22章   (2012年 3月 12日)

今日のみことば「アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。」(8)

 アブラハムの人生の中で人生最大の試練が書かれている。それは念願の子孫として与えられた一人息子のイサクを全焼のいけにえとしてささげよというものでした(2)。
 アブラハムにとって理解に苦しんだ命令であったと思うし、今日の私たちも同じ立場にたったら悩むことであろうと思う。理不尽に思えることには、かつてソドムとゴモラをさばこうとされた時でさえ、アブラハム執拗なまでにとりなしをしたことがあった。今回も、アブラハムは主に訴えかけても良かったように思われるが、しかし、アブラハムはイサクを連れてモリヤの地を目指した。
 道中、イサクは全焼のいけにえとしてささげる羊はどこにあるのかと父アブラハムに問う。アブラハムは、「神ご自身が備えてくださるのだ。」と答えている(8)。主の命令はイサクをささげることであることを知っていたアブラハムにとって苦しい返答であったように思う。しかし、このことばが、実際に主の備えられた羊を見出すに至っている(13)。
 新改訳聖書の8節の脚注に「備えて」は直訳では「見つける」ということばであることが記されている。言い換えれば、主の備えを、主のなされる御業、主の御心を見出すというニュアンスがあるということができる。つまり、アブラハムはイサクに苦し紛れに言った言葉と言うよりも、むしろ、理解に苦しむ試練の中にも、主の働きと御心を見出すことが出来るはずであるという信仰をもって言ったことばであったと取ることが出来るのです。私たちも試練の中で神の御心を見出すことが出来るように祈りましょう。