主題 <神の契約に応答する>
聖書箇所 創世記 17章 (2012年 3月 7日)
今日のみことば「あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」(5)
神はアブラムにかつて約束された契約(12章)に基づき、さらに具体的に契約される。それは「子孫がおびただしく増やし」、「カナンの全土を・・・永遠の所有として与える。」(6-8)というものだった。そのため、アブラムとの名前がアブラハム(多くの国民の父という意味)に変えられるように言われた(5)。
そして、待ち望んでいたアブラハムの子孫について、妻サラから生まれる男の子イサクが与えられるとの約束がなされた。アブラハムにとって信じがたいことで、すでに与えられていたイシュマエルを祝福してくださいと求めるほどに(18)、信じがたいことであった。
これらの契約が示される中、神は割礼をほどこすように命じられた。割礼は男性の包皮を切り捨てることであるが、これはいのちを継承していくということに、絶えず神の祝福であることを覚えていくため、契約は継続性を示していくしるしとして行うように言われたことであった。アブラハム、そしてイシュマエルもすぐに命いじられた通り、割礼をほどこしたのだった。
神の契約に基づいて、人間の側での応答として、割礼をほどこすということがはじめてなされた。そして、このことは聖書のうちに見る原則となっていることを思わされる。神は契約され、その応答を求められるというのは、今、キリストの十字架によって神のあわれみと赦しが示されていることに、信仰をもって応答していくということになぞられる。神のなされることは、いつの用意周到で、最善であり、恵みが先行している。私たちは、この神を信じ応答し、いつの時にも神に従う者でありたいと願います。