主題 <バベルの塔>
聖書箇所 創世記 11章 (2012年 3月 1日)
今日のみことば「そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」」(4)
洪水以後、ノアの系図にあった人間は地上に増え広がっていった。広がっていきながらも人間はこの時、一つのことばで話していた(1)。その人間たちはシヌアル(バビロン)の地に定住した時、彼らは「「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(4)と言って、一つの塔を築こうとした。「天に届く塔」ということから人間が神に挑戦するようなこころみを持ち始めていたと見ることが出来る。また、「名をあげよう」ということから自己顕示欲がうまれてきているとも見ることが出来る。また、「われわれが全地に散らされるといけないから。」ということから考えると、一体性が失われることへの恐れがあったことも伺える。
人間は名誉心、自己顕示欲が出ると、それを守ろうとする防御反応が出てくるのは今日も変わらないのではないだろうか。バベルの町の人々は、一つの塔の建設が精神的な拠り所として、彼らの力の象徴として築き、民が一致して力を誇示しようとしたことは、現代も、さまなざな武力、核兵器の保持など国々が競い合って保持しようとしている姿に似ているように思う。
神は、この「天にまで届く塔」と息巻いていた人々のところに、「降りてきて来られた」(5)とあるように、結局は神がわざわざ降りて来られるほどにその塔は低い物でしかなかったことを示している。人間の浅はかさ、愚かさを知らされたことであったと言える。
今日、私たちは自己中心的な生き方から離れ、神の御前にへりくだった歩みをしていくことができるように祈ろう。