主題 <産後のきよめ>
聖書箇所 レビ記 12章 (2012年 6月 3日)
今日のみことば「彼女のきよめの期間が満ちたなら、それが息子の場合であっても、娘の場合であっても、その女は全焼のいけにえとして一歳の子羊を一頭と、罪のためのいけにえとして家鳩のひなか、山鳩を一羽、会見の天幕の入口にいる祭司のところに持って来なければならない。」 (6)
女性が身重になり、子どもを産んだときは、一定の期間汚れた者とみなされた。男子を産んだときは七日間(2)、女子の場合は、二週間であった(5)。これは実際にその女性が汚れた者となったというのではなく、宗教上の意味での汚れである。女性だけを蔑視しているのではない。また、産後の休養のためでもあったと思われる。
生まれてきた男子は八日目に割礼を受け、契約の民に加えられた(3)。したがって、決して子どもを産む行為が、忌み嫌われたのではない。生まれてきた子どもが何の功績がないのにも関わらず、神の民に加えられたのは、神の一方的な恵みを示している。
母親は、男子を産んだときは、さらに三十三日間、きよめのためにこもった。「血のきよめのために」とあるが、これらの期間は、母体に充分な休息を与えたと思われる(4)。女子を産んだ場合には、その後、六十六日間、血のきよめのためにこもった(5)。
きよめの期間が満ちると、母親は、自分自身のきよめのために、全焼のいけにえと、罪のためのいけにえをささげた(6、7)。祭司は、罪のためのいけにえを用いて、彼女のために贖いをした(7、8)。ここでの全焼のいけにえは、子どもが生まれたことに対する神への感謝と、神への再献身を表すものであったろう。羊を買う余裕のない者は、山鳩か家鳩のひなをささげることが許された。貧しくともささげる恵みのために配慮されている。子孫が与えられることを感謝し、特別な配慮がなされていることは、神もこのことを祝福し喜んでおられることを覚えさせられる所である。