主題 <ツァラアトからのきよめ>
聖書箇所 レビ記 13章 (2012年 6月 4日)
今日のみことば「祭司は七日目に再び彼を調べる。もし患部が薄れ、患部が皮膚に広がっていないなら、祭司は彼をきよいと宣言する。それはかさぶたにすぎない。彼は自分の衣服を洗う。彼はきよい。」(6)
13~14章には、ツァラアトについてと、ツァラアトからのきよめについて書かれている。ただし、ここに書かれているらい病は、人体だけではなく、衣服、家にも及ぶものなので、現代の「ハンセン病」と同一のものではない。
13章においては、まず、人の病が取り上げられ、次に衣服の場合が取り上げられている。祭司の務めは、病人の症状を観察し、その後に「汚れている」と宣言したり(3、8など)、きよいと宣言することであった(6、17など)。
ここで言われている汚れも、12章と同様に、宗教上の汚れでもある。ここに書かれている病は、伝染性のものであったと思われる。したがってそれは公にされる必要があり、また患者は隔離される必要があった(45、46)。
衣服のらい病とは(47-59)、かびのようなものを意味していると思われるが、それらは衛生的ではなかったので、適切に処置されることが必要であった。
人は弱い肉体をもっており、私たちは病を体験する。しかし、多くの場合、病は癒されうるものである。祭司によって、いったん汚れていると宣言された人が、その後、きよいと宣言されたときには、その喜びは非常に大きなものであっただろう。
今日の箇所から、考えさせらっることは、「きよい」と祭司によって宣言されることと、キリストにあって赦された者とされていることの恵みを重ねて合わせて見ると、今は何と恵みの時代に生かされているかを思わされるのである。主にある救いを感謝しよう。