主題 <悶着は未然に防ぐこと>
聖書箇所 民数記 36章 (2012年 7月24日)
今日のみことば「主がツェロフハデの娘たちについて命じておおせられたことは、次のとおりである。」(6)
民数記の最後において、全体から見て小さな問題について主のみむねを尋ねています。悶着は未然に防ぐことが望ましい。小さな問題から、大きな問題になってしまうことがままあるものです。小さいからと問題を軽視しないで、いつも主のみこころが何であるかを求める必要があることを教えられるのです。
神は他部族に嫁がせずに同じ部族と結婚せよと命じられている。とても自由が制限されているように感じられるかも知れないが、神の相続地として受け取る信仰が重要です。そして彼らはその命令に服従している(11)。ここに主の民の姿勢を確立して行く信仰を学べる。
神は自由を許可されておられるが、祝福は神のみこころの中にある時にのみ受けられる恵みである。金魚の自由は、自分勝手の自由ではなく、水の中にあってはじめて自由になり得る。自由を貴ぶことが、神のみこころとの調和できるようになることと同じでしょう。
神のご支配の中の自由の素晴らしさをどれほど知っているだろうか。
どんなに多くの人々が神のおきてを拒否し、自己の思いの中で戦っていることだろうか。神のみこころは最善あるのみです。
<祈り>主よ、私たちの心が満たされているとき、より輝き、労役も喜びと感謝をもってさせていただくことができます。神に近づき祈る時を優先させて下さい。アーメン