主題 <割り当て地について>
聖書箇所 ヨシュア記 12章 (2012年 9月 8日)
今日のみことば「ヨシュアはこの地をイスラエルの部族に所有地、その割り当て地として与えた。」(7)
戦いの後に祝福がある。祈りにおいても、伝道においても、みことばを学ぶにも、集会出席にも、戦いがあります。しかし信仰者が戦いをしないで祝福にあずかろうとしたら心得違いである。
決して戦い無くして霊的祝福はない。聖書や神についての知識も、頭の肥やしになるだけで、知識的に頭は大きくなっても、手足を動かすことを忘れた信仰者になってはいけません。
手足を動かして実戦的、実践的クリスチャンになってみことばを生活の中に溶け込ませることが、私たちの祈り、追求となって来るときこそ、私たちの置かれた場所がものをいってくるのです。
イスラエルにとっても、与えられる場所が、おのおの違います。12部族ごとに分けられた地域は升目を作るように平等ではありません。しかも、その線引きをした場所を、自分たちで占領しなくてはならないのです。広ければ広いほど、戦いも激しく、困難もたくさんあったでしょう。でもそここそが、割り当て地として与えられているのです。
占領しようとしている場所は、あなたに割り当てられ、祝福を見ることを待っているといっていいでしょう。
<祈り>主よ。祈りつつ実際に戦い、信仰の割り当て地を自分のものにすることができますように。ア-メン。
<祈りの課題>