主題 <祝福とのろい>
聖書箇所 申命記 11章 (2012年 8月 4日)
今日のみことば「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。」(13-14)
「もし……なら」という形式で、モーセは、主から与えられる祝福の条件を示している(13、22)。その条件とは、主のみことばによく聞き従い、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして主に仕えることである(13)。また、主のすべての命令を忠実に守り行い、主を愛して、主のすべての道に歩み、主にすがることである(22)。
この条件を満たすために何をすべきかを、モーセは、18~20節で明らかにしている。それは、常に、主のことばを心に刻みつけ、子どもたちにもみことばを教えることである。そうすれば、神は穀物の実りと収穫のために、「先の雨」(秋の雨で、この時期に大麦・小麦の種蒔きをする)と、「後の雨」(春の雨で、穀物の豊かな実りをもたらす)を与えてくださる。
主の祝福は、イスラエルに広大な土地を約束するものであった。荒野からレバノンまで、ユーフラテス川から西の海(地中海)まで、「足の裏で踏む所は、ことごとくあなたがたのものとなる」と約束されている(24)。
22~32節においては、イスラエルの民が、祝福かのろいかのどちらか一方を選択するようにと、主によって迫られていることがわかる。
モアブの平原から、ヨルダン渓谷を越えて西に、ゲリジム山とエバル山とが対峙して見える。ゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいが置かれ、民はそのどちらかを選択しなければならなかった。
主の命令に聞き従うならば、祝福が約束されており、その反対なら、のろいが与えられるという。私たちは、主に従うことを第一にし、主の祝福を頂こう。