主題 <弱さの中で主に叫ぶ>
福音伝道教団 前橋キリスト教会・渋川キリスト教会
聖書箇所 士師記 15章 (2012年10月 5日)
今日のみことば「そのとき、彼はひどく渇きを覚え、主に呼び求めて言った。「あなたは、しもべの手で、この大きな救いを与えられました。しかし、今、私はのどが渇いて死にそうで、無割礼の者どもの手に落ちようとしています。」」(18)
15章では、サムソンは、以前の妻を返してもらうことを願ったが、叶わなかった(1~2)。そこで彼は、ペリシテ人の畑に火をつけてしまう(3~5)。その結果、ペリシテ人たちによって妻とその父親は焼かれてしまい、サムソンはその復讐をする(6~8)。この事件を知ったイスラエル人たちは、サムソンをペリシテ人の手に渡そうとする。ここに、イスラエルの民たちが、奴隷の状態に甘んじて戦おうとせず、しかも自分たちのさばきつかさである者さえ裏切ろうとするまでに愚かな姿を示している(9~13)。
しかし、神はこのサムソンを、放ってはおかなかった。主の霊が彼の上に激しく下り、彼はロバのあご骨で千人を撃ち殺してしまう(14~15)。さらには、三百匹ものジャッカルを捕らえ、その尾と尾をつなぎ合せた。また腕にかかっていた綱を簡単に引きちぎった。さらに驚くべきことに一人で千人を打ち殺した。このような力は、実は彼自身から出たものではなく、主の霊によるものであった(15)。
この戦いの後、サムソンは激しい渇きを覚え、主に叫び求めている(18)。主は彼の叫びに答え、水を与えられた。力を誇ることのできるような勝利の後に、水を求めて叫ぶという弱さが見られるという中に、いかに人間は弱いかを思わされる。しかし、そのような求めに神は速やかに応えられているところに主のあわれみでしかないことを痛感させられる。神の力は、人の弱さの中に完全に現れることを覚えたい(Ⅱコリント12:9)。